ボウリング・フォー・コロンバイン(2003年4月2日、4日、10日の日記より)イラク情勢のために自粛ムードだったアカデミー賞で、長編ドキュメンタリー賞を受賞した『ボウリング・フォー・コロンバイン』観てきました。 まずは、物議をかもし出した監督マイケル・ムーアの受賞スピーチを紹介。 「ノンフィクションが好きだからね。ノンフィクションが好きなんだけど、でもフィクションの時代を生きている。僕らはインチキな大統領を選び出してしまうようなインチキな選挙をするような時代に生きているんだ。嘘の理由で僕らを戦場に送り込むようなやつがいる時代を生きているんだ。とにかく、僕たちはこの戦争には反対なんだ。ブッシュよ、恥を知れ。 ブッシュよ、恥を知れ。お前の持ち時間は終りだ!」 会場に巻き起こる拍手とブーイングの嵐・・・。 1999年4月20日、アメリカはいつもと変わらない朝を迎えた。 人々はそれぞれの朝を迎え、いつものように仕事へ出かけ、アメリカ軍は相変わらず他国の政治に顔を突っ込み(この日、アメリカは旧ユーゴスラビアのコソボ紛争において最大の爆撃を敢行した)、コロラド州にある3万5千人の小さな街・リトルトンでは2人の生徒が朝からボウリングをしていた。 いつもと変わらない朝の「はず」だった。ボウリングを終えた2人の少年が銃を持ち、彼らが通うコロンバイン高校で銃を乱射するまでは・・・。 彼らはナチズムを信奉する「トレンチコート・マフィア」というグループに属していた。 死者13名(12人の生徒と1人の教師)、負傷者数10名。2人の少年が銃で自殺し幕を閉じた最悪で狂気に満ちた事件。 『コロンバイン高校乱射事件』。 犯行前、少年の1人のウェブサイト上の日記には次のような記述があったそうだ。 「私の理想を教えてやる。自分が法律になることだ。このことが気に入らない奴には死んでもらう。デンバーに住む人間をできるだけ殺してやる」 コロンバイン高校の「トレンチコート・マフィア」は「ジョックス」と呼ばれる体育会系のグループによっていじめられていたと報道されているが、この事件は突発的ではなく計画的に行われている。「いじめ」は彼らにとって「銃による暴力」の引き金にすぎない。 様々な問題を内包しているアメリカ社会。 その象徴的とも言える事件は、様々な物議を巻き起こした。 映画、TV、ゲームにおける暴力の氾濫が原因?家庭の崩壊?高い失業率?過激な音楽? 少年たちが聞いていたハード・ロック歌手マリリン・マンソンにまでその矛先が向けられ、ライブがコロラド州で禁止に・・・ そんな中、ひとりのジャーナリストが社会に問いただした 「マリリン・マンソンのライブを禁止するのなら、なぜボウリングも禁止しないのか?」 それがこの映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』 ジャーナリストである監督「ホワイトハウス公式認定危険人物」マイケル・ムーア。 『電波少年』ばりの突撃アポなし取材を監督自ら行い、「コロンバイン高校銃乱射事件」を起爆剤にアメリカ銃社会に切り込んでいく。 なぜ「コロンバイン高校乱射事件」が起きたのか? なぜアメリカだけ銃犯罪が多発するのか? 弾丸を売っているスーパー「Kマート」の本部に乗り込み、地元のミサイル工場を取材し、カナダの銃社会に飛び込み、マリリン・マンソンにインタビュー・・・そして全米ライフル協会長のチャールトン・ヘストンの自宅に乗り込む。 確信犯的無邪気さを武器に、早口とユーモアで質問を浴びせ、容赦なく追求していく。 その突撃取材の隙間には、アメリカの犯した戦争(殺人)行為の様々なニュース映像をルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」に乗せてコラージュしたり、「恐怖に捕らわれているアメリカの歴史」をアニメで見せたりと、笑いを通して「アメリカ」を描き出す。 恐怖や敵を作ることで社会のバランスをとり、情報を消費し、自己防衛という大儀で武器を持ち、1万人以上の銃による死者をだしながらも「正義」がまかり通るアメリカ・・・。 マイケル・ムーアの映像は「ちょっと誇張?」って表現もあるけど、笑いに織り込むこと、そのストレートさが「説得力」に変化している部分がある。 イラクのことで、世界がアメリカにいろんな意味注目する今、観る価値ありです。 と、ここまではよく書かれる、書かれている内容なんでしょうね。 ところがです。 この映画には問題があります。 それは映像に関わる人間でなければ、もしくはそれに詳しい人でなければ気づかない嘘。 マイケル・ムーアの自己主張が、この映画の根本を崩してしまった。 つまり、僕が言いたいのは「この映画はドキュメンタリーではない」ということなんです。 この結論に行き着く経緯を説明しましょう。 それは大学時代の先輩で友人の○山さん(僕と同じディレクターで、映画に関しての知識は尊敬すべき方です)と『ボウリング・フォー・コロンバイン』の先行オールナイトを観た帰り道のことです。 ○山さん(以下○)「面白かったね」 kiromeru(以下K)「面白かった。でも最後のシーン疑問が残るね」 ○「あぁ、チャールトン・ヘストンのところの切り替えしだろ?」 K「そうそう。あれはやるべきじゃなかった。すごくいやな気分にならなかった?」 ○「そうかな。あのカットがあることで効果的になったんじゃない?」 K「それはわかるけど、あれをやったらドキュメンタリーじゃないよ?」 ○「でも観てる人はわからないわけだし、僕だったら同じ選択をするね」 K「観てる人がわからないことが問題だと思うよ。時間軸をずらしたわけだから、嘘じゃん!」 ○「それはkiromeruの美学だろう?それを否定したら映画自体の編集を否定することになるじゃん」 K「編集の問題じゃないよ。あのチャールトン・ヘストンのシーンは大事なシーンでしょ?だからこそ時間軸をずらしたカットを挿入するのがゆるせないわけだよ」 ○「でも、それによって効果的になってるのは否定できないでしょ?」 この後、会社に帰るまでお互いが納得することがなく、それぞれの仕事に戻った。(深夜の1時からお互い仕事というのもねー。映画を観に行ったからしょうがないか) すいませんね。全然話の内容がわからなかったでしょう? 映画を観た方には説明は簡単なんですが、観てない人にどのくらいわかるかわかりませんが、挑戦してみます。(この時点で「映像って文字にするのは大変だー」って思ってます) マイケル・ムーアとそのスタッフは、映画の総括として全米ライフル協会会長のチャールトン・ヘストンのインタビューを試みる。アポなしで自宅を訪ね、「次の日の朝にインタビューOK!」の約束を取り交わす。 そして次の日の朝。マイケル・ムーアとカメラマン(それ以外に音声やアシスタントもいたと思われますが)がヘストンの家に乗り込む。(ここでのポイントはカメラが1台であること) 詳しくは書きませんが、ムーアは確信犯的無邪気さを武器に、早口で質問を浴びせ、ヘストンに対し「アメリカの銃問題」を追求していく。 苛立ったヘストンはインタビュー途中で席を立ち、その場から去る。追うムーア。 振り返りもせず立ち去るヘストンにムーアが叫ぶ。 (6歳の男の子が同じ6歳の少女を射殺した、銃による最年少殺人事件。その被害者の少女の写真を手に持ち)写真を見てくれと叫ぶムーア。去っていくヘストン。 ここで映像解説(番号は編集カット) ① カメラはムーアの後ろ姿を写しながら、バルコニーの階段を振り向かずに去るヘストン。 ② カメラはムーアの前。胸の前に写真を持ち、ヘストンに呼びかけるムーア。 ③ カメラはムーアの後ろ。立ち止まらずに去っていくヘストン。 わかりました?おかしいですよね? ここで編集前の映像素材を見てみましょう。 A. インタビューの部屋から立ち去るヘストンを追うカメラ、ずっと追いかけるカメラ、ヘストンを追いかけるムーアの後姿、カメラの前にムーア立ち止まり写真をヘストンに見せる(カメラからはムーアの巨体のため、写真を持っていることがわからない)。ムーアの後姿と立ち去るヘストン、どんどん遠ざかるヘストン、ヘストンいなくなる。 B. (ヘストンが立ち去りカメラがムーアの前にポジションを取る)すでにいなくなったヘストンに向かって、さっきと同じようにムーアが叫ぶ「すでにいないヘストンに向かって」である。 つまり編集という映画(映像)の手法により A→B→Aと編集されたのが①②③となるわけです。 現場で写真を見せていることを明確にするために、(ムーアの提案かカメラマンの提案かわかりませんが)B素材を追撮したわけです。つまりはヘストンに叫ぶムーアは「演技」をしたということになります。 これが僕の「この映画はドキュメンタリーではない」という理由である。 ここまで、わかっていただけましたか? 以前僕が書いた日記「情報、なにが正しいのでしょう?」(3月20日)と照らし合わせてもらうとわかりやすいのですが、「映像表現としての嘘、情報操作」と感じてしまったのです。 できればここで○山さんとの会話を読み直してみてください。意味がわかりましたか? この「ワンカット」によって、ラストシーンまでのムーアのいい部分までも否定してしまいそうな僕がいました。 しかし、「何がドキュメンタリーなのか?」という映画的問題にまで広げると、これだけで結論づけることができないのです。 「ドキュメンタリーとは虚構、つまり事実でないことを事実らしく作り上げることなく事実の記録に基づく作品。記録映画や記録文学などを指すわけです。また、広い意味で「芸術形式」であり、ニュースなどの報道を第一の目的とするものとは異なるもの」と定義されています(辞書参照)。 世界最初のドキュメンタリー映画作品は、シネマトグラフを考案したリュミエール兄弟による『工場の出口』(1985)。工場から従業員が歩いて出てくるだけという記録映像だといわれています。 1895年12月28日、パリのキャプシーヌ通りのグラン・カフェにおいてリュミエール兄弟がおこなったシネマトグラフの最初の有料公開上映会(これが映画の誕生とされていますが諸説あります)。ここで映写された『列車の到着』を見た観客が、画面奥から手前へと突進してきた列車を現実の列車と錯覚して、驚き逃げ出したと言われている。 世界で初めて映画を見た人々にとってそれがいかに衝撃的な体験であったかを示すエピソードであるが、これは宣伝効果を踏まえた嘘っぽい話でもある。有料公開とは言っても、それを見たのは一般市民ではなく中・上流階級の人々。すでに映像に対しての免疫のある人々であったことを考えると、そのエピソードはいささか大げさであり、「映像のドキュメンタリー的要素は、その誕生から社会的な影響のある嘘を含んでいた」と言えるわけです。 映画の歴史において100年もの時を経た現代ではどうであろう? 映画表現の主要な問題のひとつが「ドキュメンタリーとフィクションの境界」である。 「ドキュメンタリーとは虚構である」。 これは『ゆきゆきて、神軍』で知られるドキュメンタリー監督・原一男の言葉である。 ある側面は「ドキュメンタリーはフィクションではない」が、ある側面は「ドキュメンタリーはフィクションである」という矛盾を含んだ現状をストレートに表した言葉でもある。 観客にとっては「真実とも虚構とも単純に割り切ることのできないもの」それがドキュメンタリーであるというわけである。 極論的に言うと「すべての映画は虚構」であり、ドキュメンタリー映画であろうがフィクション映画であろうが、監督を含め映画にかかわる人々の「表現欲求」が具体化されているものである以上、また映像がエンターテイメントを求められる以上「嘘」を含むことは否めないというわけである。 フィクション映画は「虚構をあたかも真実のようにみせる」ことに近づき、ドキュメンタリー映画は「真実を映像という虚構の表現媒体に昇華させる」ことに近づくわけである。 ○山さんが僕に投げかけた「それはkiromeruの美学だろう?」という言葉。 『ボウリング・フォー・コロンバイン』の明らかな「嘘」、虚構を含んだ表現に幻滅してしまった僕に対し、映画の現状を認識した上で、あくまでも方法論として認めた○山氏。 問題は「映像を知らない観客にはわからないであろう表現」という部分である。 それは『ボウリング・フォー・コロンバイン』の虚構を認めた○山氏を含め、映像表現者の「おごり」ではないのか?と言いたいのである。 少なくとも「あの切り替えし」がアカデミー関係者は理解していたことを考えると、「ドキュメンタリーとして認められた表現方法」だとするならば、なおのこと無視できない事実なのである。 ドキュメンタリーは、「映像表現による現実批判」を含む。 ニュースもそうであろう。 イラク戦争を含め「映像の情報操作」が行なわれる昨今。 見せる側の「見せる倫理観」 見る側の「見る力」が求められている。 (今ひとつまとまりませんでした) ジャンル別一覧
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